先生との面談
先生より家族も一緒に面談の時間を取りたいので来て欲しいと連絡があり、義父と夫が行くことになりました。
義母の話を聞いていると、最初の診察とその後よく来てくれる先生が異なり、(でも最初の先生も顔を出してくれる様子)チーム制なのか担当医がいまいちわからない状態でした。
面談にいった夫によると、更に新しく登場した腫瘍内科の先生が担当医となるようで、このK先生がとってもいい先生だったと感激していました。
一緒に頑張ろうと親身に接してくれる先生で、説明がわかりやすく、こちらの話もしっかり聞いてくれて、義父・義母も喜んでいたとのこと。特に義父は、転院に不安もあったけど本当によかったと安心していたそうです。K先生、すごい。
義母の食欲不振・気力がないことに関しては、「がん悪液質」によるものだということ。六君子湯を服用して経過をみることになりました。
翌週一度受診の後、検査数値に問題なければ再来週から1回目の抗がん剤投与が始まることになりました。
それまで病院でできることもないので、とのことで翌日退院が決まりました。
先生からは、とにかく極力普通の生活を送って欲しいとお話があったそうです。もちろん体調に応じてという注意点はあるものの、ずっと横になっていないでできることは自分でやる(家族はつい代わりにやってしまいがち)ことが大事ですとのこと。
一時退院中に気にかかっていたことだったので、先生から改めて言ってもらうとやっぱりそうなんだよねと少し安心しました。
転院先へ(入院②)
あっという間に転院先の病院に入院する日が来ました。
夫が付き添い、朝8時過ぎに出発。
大学病院の待ち時間は長いのに加えて、院内が広く検査の移動が大変だったと、へとへとになって帰ってきました。
ちょっとした行き違いもありました。
元いた病院からは、即入院して抗がん剤治療が始まるとのお話で入院道具も準備して来院したのですが、外来で診察してくれた先生には伝わっておらず。慌ててベッドの手配をしてくれて何とか滑り込めたようです。
また、確定診断になる細胞診が行われていないため、今回の入院では抗がん剤は始められないと言われてしまいました。一通り検査して数日中に一度退院します、ということは今回の入院は若干無駄になるのでは?という疑問が芽生え、連携ってこんな感じなのかともどかしい思いでした。(結局前の病院で細胞診していたことが判明するのですが、紹介時の資料には記載がもれていたそうです)
入院翌日にパネル検査のための生検を行いました。
ここで、予想していなかったことが起こり、胆管のステントが詰まっているのがわかり急遽入れ替えを行うことになりました。
検査後は食事再開の予定が、ステント入換後も絶食継続となり義母は残念そうでした。
家で過ごす時間
次の転院先に入院するまで約1週間、久しぶりのお家です。
元気があれば少し外に散歩に出ることもありましたが、基本的には横になっている時間が多く、起き上がる動作にもひと苦労。入院での筋力低下は思っていた以上でした。
抗がん剤投与ではもっと体力を使うと聞くので、できる範囲でもう少し動いて頑張って欲しい気持ちと、せっかく帰ってきたのだし無理せずゆっくりして欲しい気持ちとの狭間で複雑な心境でした。
拝見している闘病ブログの方々は、入院していない期間は割と普通の生活を過ごされている印象だったので、そのギャップもあり戸惑っていました。
もちろん患者さんの状況は千差万別とわかっているつもりですが、入院中元気だったので何となく楽観的になっていたのかもしれません。
せめて食事を、と思うのですが食がすっかり細くなってしまい、メニュー決めも悩ましくなりました。通常メニューに少しさっぱりした副菜、また汁物の頻度を増やしてみたり…。おそうめんは美味しく食べられるようだったのでよく食べていました。
病院では一人の食事だからみんなで食べられて嬉しいと言ってくれて、私たちも久しぶりに揃った食卓を楽しみました。
限られた面会時間だけでなく、話したいときに家族がそばにいる。
当たり前の日常のありがたみを改めて感じました。
退院①
入院から1か月と少し、転院先の診療予約も決まり一時退院することになりました。
ちょうど義弟の帰省タイミング(お見舞いに来てくれる予定でお休みを取っていた)と重なって家は久しぶりに賑やかに。
退院前に、3人で家の模様替えをして2階にあった寝室を1階にお引越ししました。
祖父母が亡くなってから時が経ち、倉庫と化していた部屋の改造はプチビフォーアフター状態で笑、義母も驚き&喜んでいました。
入院中はとても元気に見えましたが、やはり筋力の衰えが影響しているのか(後で判明するのですが胆管が詰まり始めていた影響もあり)体調がすぐれない日が多く夫と心配していました。
せっかく帰ってきたから、食べたいものを食べて欲しいと思っても食欲が出ないのでリクエストしたいメニューがないことが続いていました。
義母の希望があって作ったのは、おそうめん、ポトフ、新しい病院に行く前夜にすき焼きです。
転院に伴い少し待機期間ができてしまった焦りもあって、転院せず元気なうちに抗がん剤を始めた方が体調もよかったのかな?と気に病む夫に、せっかく帰る時間もできたんだし、元気を養って大学病院で治療を受けてもらおうと話していました。
そう思ってしまう位、入院時に元気になった義母の印象と家に戻った今の状態にギャップがあり、戸惑ってしまうのも事実でした。
体調変化は読めないものなので、本人は勿論私たちもそれに慣れていかなければならないと感じました。
セカンドオピニオン外来へ
付け焼刃の知識ではありますが、手術の可能性があれば手術したい(難しい部位で手術適応が施設によって異なる)ことや遺伝子パネル検査など何かできる検査が他にもあるのではということもあり、早々にセカンドオピニオンを受けることに決めました。
隣県の大学病院が胆膵の領域に強いということがわかり、担当医の先生に相談の後がん支援センター経由でセカンドオピニオン外来を予約。2週間弱ほど待ち義父と夫で外科の先生に面談することになりました。
それまでの期間に、義母の体調は少しずつ回復し、会う度に顔色もよくなっていきました。面会に来た親戚も元気な姿に驚いた様子でした。
セカンドオピニオンの先生からも、やはり現状での手術は難しいとのお話でした。
抗がん剤治療で癌が縮小すれば手術できるケースもあること、遺伝子パネル検査で適合すれば治療の可能性が広がるかもしれない等前向きなお話も頂けました。
また、今の健康状態であればもう早々に退院でき家に戻れること。
抗がん剤治療はおそらく通院(1回目は入院、その後の状況によっては入院)になり、元気があれば旅行に出てもいいし、食事も好きなものを食べてよくなりますよと、担当医の方から聞けなかったお話も色々伺うことができて有意義な時間になった
家族で相談の結果、大学病院へ転院することになりました。
担当医の先生はいい方で、看護師さんも親切な方が多く入院環境としてはよかった様子でしたが、義母もよりよい治療が受けられるなら転院したいとの希望で決まりました。
外科との連携や検査等施設の充実度等よりよい治療環境になると信じています。
動揺の日々
義母が入院して、義父と夫と私3人での生活が始まりました。
(義両親とは車で10分ほどの距離に住んでいますが、自営業で日中は義実家で過ごしています。)
ムードメーカーの義母がおらず、状況も状況なので家の中はすっかり暗くなりました。
分担していた仕事や家事など、普段していなかったこともやるとそれだけであっという間に時間が過ぎていきます。
日常の仕事をしながらお見舞いに行き、義父や夫は親戚への連絡等にも追われていました。(すごく兄弟仲がよく、心配した方から状況を知りたいと連絡が沢山きていました)
そして何より精神的な負担。
1週間位は不眠の状態が続き、夫はみるみるやつれていきました。
交際期間から数えると夫とは20年近くの付き合いになりますが、このような夫は初めてで本当に心配でした。
がん患者の家族は第二の患者、とも言われることがあるように家族の苦しみは計り知れないものだと実感しました。
義母はステント後しばらく絶食が続き、ステントを入れた辺りに痛みがある様子でした。点滴が何本も繋がれて手が痛々しく、さらに血管が細いので新しいものに刺し変える度に一苦労だと嘆いていました。
数日後に家族を含めて改めて説明の機会を頂けることになりました。
予期せぬ入院で、このまま抗がん剤治療を始めてよいのか?手術の可能性はないのか?調べていく中で大学病院のセカンドオピニオンを受けてみたいと考えました。
癌が発覚するまで(入院①)
義母の癌が発覚したのは8月後半のことです。
最初は夏風邪のような症状で数日家で寝ていました。
クリニックにかかってコロナ陰性とわかり、しばらく休んだらよくなるだろうと思っていたものの中々回復せず。尿の調子も悪いので一度泌尿器科に診てもらうことにしたのが1週間後のことでした。
義父の運転で市立病院の泌尿器科に行き、「泌尿器から内科に回されて検査したら胆管炎と言われた。」と言われてびっくりしていたら
さらにその後の連絡で「胆管にがんがあるようだ、あちこちに転移しているので手術できない可能性が高い。胆管炎を起こしているので緊急でステントを入れる手術をする。」とものすごい速さで話が進み頭が追い付かなくなりました。
勝手な予想では、お薬をもらって元気になって帰ってくる気持ちでいたので寝耳に水の展開に私も夫も驚きを隠せませんでした。
お義母さんが癌??
病院の面会規制のため、手術終了時まで待つことができないとのことで夕方義父が帰宅。説明資料を基に病状を改めて説明してもらいました。
風邪のような症状は胆管炎によるものだったそうです。説明は全て義母もいる状態でされていたと聞き、思っている告知の印象と異なり驚いたのと同時に、どんな気持ちで聞いていたのかと思うと心苦しくなりました。